大阪地方裁判所 昭和54年(ヨ)1906号 決定 1981年2月13日
申請人
山崎睦子
右訴訟代理人弁護士
相馬達雄
(ほか四名)
被申請人
学校法人大阪女学院
右代表者理事
船本坂男
右訴訟代理人弁護士
井野口勤
同
北川新治
主文
1 申請人の申請をいずれも却下する。
2 申請費用は申請人の負担とする。
理由
第一当事者の求めた裁判
一 申請人
1 申請人が被申請人に対し雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。
2 被申請人は申請人に対し、二六万八、四四四円及び昭和五四年五月から本案判決確定に至るまで毎月一八日限り二六万八、四四四円を仮に支払え。
3 申請費用は被申請人の負担とする。
二 被申請人
主文と同旨
第二当事者の主張
一 申請理由の要旨
1 被申請人は大阪女学院中学校、同高等学校、同短期大学を設置している学校法人である。
2 申請人は昭和四四年四月一日被申請人に期限の定めなく雇用され、以降大阪女学院短期大学(以下「被申請人短期大学」という。)において英語科専任講師として英語演習、教育心理学等の講義及び研究に従事してきたものであるところ、被申請人から昭和五四年四月二一日、(一)昭和四七年のゼミナールにおいて、無届休講、遅刻などにより満足な出席なく、著しく職務を怠たり、ついにゼミナール解散のやむなきに至らしめた。(二)昭和四七年度の通訳ガイドにおいて異常な授業態度をとったために多数の受講取消者を出し、単位取得者が僅かに一割という事態をまねいた。又昭和四六年度におけるオーラルの指導法についても適切を欠く点が多く、学生の抗議が多発した。これについて反省を求めたところ全く反省せず、かえって反駁の態度で終始した。(三)昭和四九年度には、教授会決定の極秘事項を最も不適当な方法で暴露して関係者を傷つけ、且つ教授会の権威を失墜せしめた。(四)昭和五二年六月には、妻子と別居中の男性との間に婚姻外の女児を出産して躾け厳しい被申請人の品位を著しくそこない、学生に対し悪影響を及ぼしていることが明らかである。(五)その他被申請人における申請人の言動を解雇理由とし、右は大阪女学院職員就業規則(以下、「被申請人就業規則」という。)二〇条所定の「職務上の義務に違反し、又は職務を怠たり、又は職員として有るまじき行為」に該当するので、同条に基づき解雇する旨の意思表示(以下、「本件解雇」という。)を受けた。
3 しかしながら、本件解雇は、その解雇理由において後記のとおり事実に反する部分が多く、又申請人の大学教員という研究者としての地位を全く無視したものであっていずれも解雇理由となり得ないものであるばかりか、その根拠とされた被申請人就業規則についても、労働基準法八九条の届出、同法一〇六条の周知方法を欠くもので効力を有しないものであるから、いずれにしても無効である。
4 申請人は被申請人から毎月一八日限り当月分の賃金の支払いを受けてきたところ、解雇前三か月間の月額平均賃金は二六万八、四四四円である。
5 申請人は現在二歳に満たない幼児とともに被申請人から受ける賃金を唯一の収入源として生活しており、他にこれといった資産も有しておらず、著しく生活に困窮しているので、本案判決の確定をまっていては回復し難い損害を蒙ることになる。
よって、本件仮処分申請に及ぶ。
二 申請理由に対する認否
1 申請理由第1、2項はいずれも認める。
2 同第3項は否認する。
3 同第4項は認める。
4 同第5項は争う。
三 被申請人の主張の要旨
1 本件解雇理由の詳細は次のとおりである。
(一) 解雇理由(一)について
申請人の担当するゼミナール(以下、「山崎ゼミ」という。)の登録者六名のうち三名から同ゼミ開講後間もない昭和四七年七月三日ゼミナールの登録変更を希望する申出があった。被申請人短期大学においては、原則としてゼミナールの登録変更を認めない方針であったので、右申出は異常なことであったから、当時の教務主任であった関根教授(当時専任講師)が翌四日右六名全員から事情聴取を行ったところ、同年度一二回の授業時間の中、完全な授業は一回もなく、且つ授業について全体としてまとまりがなく、方針が理解できないとの苦情が原因となっての申出であった。因みに一二回の授業の内容ないし経過は次のとおりであった。
第一回(四月一七日) 申請人が授業のあることを忘れる。
第二回(四月二四日) 申請人が四〇分遅刻する。
第三回(五月一日) 無届休講
第四回(五月八日) 授業あるも終始沈黙
第五回(五月一五日) 無届休講
第六回(五月二二日) 終始沈黙、授業半ばに来客あり、申請人は以後客と応接する。
第七回(五月二九日) 出席者三名のみであったので雑談に終る。
第八回(六月五日) 休講
第九回(六月一二日) 授業で集合したが、申請人は終始在室していた客と応接する。
第一〇回(六月一九日) 申請人不在、授業時間終了間際に来室する。
第一一回(六月二六日) 無届休講
第一二回(七月三日) 無届休講
ところで、右授業内容については、申請人の採用するいわゆるノンディレクティブ(非指示)教授法の現れと思われるが、右教授法は、教える側から指示を与えず、おそわる側の自発による勉学意欲を引出させるというものであり、これには当初必ず受講生の心の中に欲求不満とか困惑が生じ、授業が混乱するものであるが、このときの教師の態度としては、受講生に対する尊重、受容、信頼及び共感的理解、並びに教師の真実さ等が重要視される。従って右教授法をもって授業を行うには、常に受講生の傍らに居て、受講生を安心させてやることが必要であって、これなくしては単なる授業放棄と同様であるというべきところ、申請人の右授業内容ないし経過をみると、まさに授業放棄といわれても仕方のないものであった。
そこで、ゼミナールが必修課目であることを考慮し、異例ながら九月から希望による登録替えを認めたところ、右六名全員が山崎ゼミから他のゼミナールに転籍してしまった。
(二) 解雇理由(二)について
通訳ガイドの講座は、昭和四五年度から設けられ、以降申請人によって担当されてきたが、その単位取得者数が、昭和四五年度が三名、同四六年度が登録者四一名中一名、同四七年度が登録者五〇名中四名と極端に少ない結果に終っているところ、昭和四五、四六年度のそれは受講生の方で徐々に受講しなくなったことに一因があったが、同四七年度のそれは、四月の第一回目の授業時間に、申請人から受講生に対し「こんなに多勢に教えるつもりはないからプリントは一〇枚しか用意していないし、どうせ単位はとれないのだから、今すぐ教室を出て行け。」と申し向けたために受講生らの感情を刺激し、即日二九名の者が受講登録を取消すという事態が発生したことに大きな原因があった。これにつき、学長から厳重注意がなされたが、その後も徐々に取消者が生じ、七月初めには受講生が僅か九名という事態になったにも拘らず、申請人には反省の色が全くなかった。
またオーラルの講義についても、申請人は昭和四五年度に前記ノンディレクティブ教授法を採用したため、受講生から抗議が多発した。そこで前記関根教授が、学内の二、三の教授に意見を徴したところ、いずれもオーラルの講義に右教授方法を採用することには否定的であったので、申請人に対し右教授方法の改善方を要求したが、却って申請人から右教授方法を理解していないとの反駁を受け、右教授方法は改善されなかった。
(三) 解雇理由(三)について
昭和四八年四月に被申請人短期大学へ入学した学生のうちの一人は、同年二月に実施した第一次入学試験において、合格点である一五四点に二点不足の一五二点を取得したが、教授会は、右受験生が大阪女学院高等学校の出身者であることを考慮して合格判定をなし、併せて教育的配慮をもってこのことを機密に属するものであることを確認し合った。ところが昭和四九年一〇月頃クラブ活動を指導中の申請人と右学生との間にトラブルがあり、申請人は右学生を攻撃する方便として右機密事項を暴露したため、学生本人に大きな衝撃を与えたのみならず、母親からの抗議に対し当時学生主任であった西村教授(当時助教授)の陳謝によってようやくことは解決したが、このことは、本人並びに関係者を傷つけたばかりでなく、被申請人と被申請人短期大学教授会の権威と信頼を喪失せしめたものである。
このように感情にまかせて行動する申請人の性格は、被申請人短期大学の教員として不適格であるといわざるをえない。
(四) 解雇理由(四)について
申請人には、昭和五一年度中に私生活の乱れを非難する風評があったものの、具体的事実が判明せずに推移してきたが、同五二年六月に妻子と別居中の男性との間に婚姻外の女児を出産して右風評を裏づけることになった。ところで被申請人は建学以来キリスト教精神をもってその教育方針とし、そのためにキリスト教による宗教教育を厳格に行い、毎朝教師も生徒、学生も全員が礼拝に出席し、教科として宗教科目を必修としており、教員の全人格をもって生徒、学生のモデルとするというものであり、従って専任教師の大部分の者が洗礼を受けたクリスチャンで占められている。このような校風を有する被申請人においては、申請人のこのような乱れた性倫理観に基づく私生活が、その品位を著しく損ない、学生に対し悪影響を及ぼさずにいないことは明らかであって、これをかかる教育をしていない他大学においてはいざ知らず、全く私的な事柄として看過することはできない。
(五) 解雇理由(五)について
申請人は、被申請人から昭和五三年五月二四日付で自宅待機処分を受けていたところ、右待機処分中の同年六月一五日被申請人に多大の貢献のあったアリス・グルーブ先生の追悼記念会を行うとして被申請人の計画とは無関係に朝日広告会社に新聞広告掲載の依頼原稿を送付したが、たまたま被申請人からも同広告会社に広告依頼がなされていたので、右依頼原稿が返戻され事無きを得ることがあった。
又後記三重看護短期大学への就任問題が生じた昭和五二年頃から本件解雇がなされる前後頃にかけ、被申請人の関係者宛に、折に触れ事に当って、事の関係、無関係の区別なく、およそ短期大学の教員としてはあるまじき手紙、葉書を差し出して受取人に多大の迷惑をかけた。
2 被申請人は昭和五一年一二月申請人から中京大学結城教授を通じて同五二年四月から新たに発足する三重看護短期大学へ専任教師として就任したいので、これを承認して欲しい旨の申出を受けたので、右申出を承諾したが、申請人が右短期大学及び申請人間の事情により結局就任することができなかったところ、申請人及び結城教授は被申請人に対し、昭和五二年度以降も引続き申請人を被申請人短期大学の専任講師として取り扱えと強引に申入れてきた。被申請人は申請人の三重看護短期大学へ就任したい旨の右申出を辞職の意思表示と解していたので、右申入れには理由がないと思ったが、紛争を避ける意味において、昭和五二年度以降も申請人を経済面において従前と同一待遇をもって肩用(ママ)することにした。
3 しかしながら、申請人に前記解雇理由(四)記載の事実が発生したので、被申請人は昭和五三年三月六日開催の理事会において、前記解雇理由(一)ないし(四)の各事実等から申請人を被申請人短期大学の専任講師として不適格であると認定し、理事全員の合意に基づき院長から申請人に辞職を勧告したが、申請人が右勧告に従わなかったので、被申請人は、その後教授会の見解を斟酌したうえ、昭和五四年二月三日申請人に対し、再度不適格を理由に同年三月三一日(もっとも右期限はその後二週間延長された。)までに退職されるよう勧告し、右期間内に退職手続をとらない場合は改めて解雇処分になると予告した。しかし、申請人は右期間内に退職手続をとらなかったので、右期間経過後である昭和五四年四月二三日に本件解雇をなしたのである。
以上のことから明らかなように本件解雇は有効である。
四 被申請人の主張に対する反論の要旨
1 本件解雇理由について
(一) 解雇理由(一)については、被申請人主張の授業の内容ないし経過について、次のとおり誤りがある。即ち、当年度の山崎ゼミは毎週月曜日の午後三時二〇分から同四時一〇分までの五〇分間に行われていたのであるが、第一回目については授業を忘れていたことはなく、第二回目についても遅刻はしていない。又第三回、第五回及び第八回目についてはいずれも大学が休みの日であって無届休講などあり得なく、第六回目についても来客との応接などなく、第七回目についても雑談などはなかった。そして第九回目についてはノンディレクティブ教授法が効を奏した日であり、第一〇回目は専ら研究室にいたのであり、第一一回目については被申請人全体がキリスト教の修養会に参加していた日であり、第一二回目については東京で開催された国際心理学会に出席し、ゼミナール開始時刻である午後三時三〇分までに帰学する予定が飛行機の遅延のため帰学できず、結果的に無届休講となったものである。
このように授業の内容ないし経過について事実誤認があるのは、事情聴取にあたった関根教授が山崎ゼミの受講生から事情聴取をしたのみで、申請人から一切事情聴取をしなかったことと、申請人の採用していたノンディレクティブ教授法に対する真の理解がなかったことによるためである。
そもそもノンディレクティブ教授法とは、教師が情報を提供したり時間を占有して講演を行う講義方式とは全く異なり、指導的立場にある者(教師)は学習者の内部的動機づけのために一切の事前説明をしないし、又計画的に顔を出すこともせず、学習者の側からの接触が生まれるまで面会をしないこともあり、学習者が強い疑問と激しい反応とを示す初期段階を経過するまで忍耐強く待機するという経過を経ることになる。
その間の学習者との間の緊張状態は非常に有意義かつ印象深いものであって、山崎ゼミにおける申請人の行動は、右教授方法の実践に他ならないものである。そして右反応は各人各様であり、当然のことながら各年度の受講生の質によっても異なり、被申請人主張の事実は昭和四七年度の山崎ゼミの受講生の状態の一端を示しているに過ぎず、右受講生の学習経過や心理経過を示すものでもなく、まして申請人の授業方式を語っているものでもない。
従って被申請人主張のごとく受講生から山崎ゼミ登録変更の希望があったとしても、それは、申請人にとっては右に述べた学習者の反応の一表現として、教授方法の一環というべきものとして受け入れられるものである。
それにも拘らず、申請人には何ら弁明の機会も与えず、右受講生から登録変更の希望があったからといって、その希望を受入れ、山崎ゼミを事実上解散するに至らせたのは、申請人の大学教員としての教授、研究の自由を侵すもので許されるべきことではない。山崎ゼミを解散するに至らせたのは、むしろ被申請人短期大学のかかる態度にこそ責任があるというべきである。
(二) 解雇理由(二)については、昭和四七年度の通訳ガイドの初回の講義において、申請人は被申請人主張のごとき態度をとったことはない。同講座の単位取得者が開設以来登録者数に比して少ないのは、申請人がその判定基準を国家試験の合格基準に置いたところ、当時の受講生の学力が余りにも低かったことによるものであり、又オーラルの講義についても、被申請人短期大学において申請人の採用するノンディレクティブ教授法を十分に理解しようとせず、却って申請人の大学における研究者としての立場を無視したのである。
(三) 解雇理由(三)については、申請人と被申請人主張の学生との間にトラブルがあったことは認めるが、教授会の機密事項を暴露したことはない。右トラブルの経緯については申請人にも多くの言分があったが、この時も申請人には何ら説明を求めることもなかった。
(四) 解雇理由(四)については、申請人が昭和五二年六月に当時妻子と別居中の男性との間に女児を出産したことは認めるが、これは全く私的な事柄であって、これを解雇理由とすること自体全く不当である。
(五) 解雇理由(五)については、被申請人主張の事実は認めるが、これは、被申請人が申請人に対し昭和五二年度以降も一応被申請人短期大学の専任講師たる地位を保障しながら、担当すべき講座を与えず、研究室も机等を一方的に倉庫へ搬入してこれを奪い、更に食堂の利用までも禁止し、教授会への出席も拒み、遂には自宅待機を命じ、このため申請人は事務的な連絡すら取ることのできない状況下に置かれ、焦燥と苦しみの余りに行ったもので、これをもって申請人を被申請人短期大学の専任講師として不適格であると断定するのは酷である。
2 本件解雇は、その経緯をみるとき、申請人の三重看護短期大学への就任問題を契機に、被申請人が申請人の大学における地位を事実上失わせる行為に出、これを押し進めたものといわざるをえない。
即ち、昭和五三年三月六日開催の理事会において、関根教授が一方的に事情聴取し集収(ママ)した事実をもって申請人が被申請人短期大学の専任講師としては不適任であるとの同人の報告に基づき、「辞職を勧告する。もし辞職をしなければ懲戒免職になる。」旨の決議をし、その後教授四名からなる調査委員会が設けられ、その調査の結果に基づき再度理事会において決議がなされたのであるが、右理事会に提出された報告書の内容が前記第二の1の(一)ないし(五)の各解雇理由であって、これについては前記のとおりその事実に誤認があるばかりか被申請人短期大学の処理の仕方において妥当性を欠くところがあり、これに前記のとおり申請人の大学における地位が事実上奪われていたという事実を勘案すれば、右のとおりいわざるをえない。
第三当裁判所の判断
一 当事者
争いのない事実及び疎明資料によれば次の各事実が認められる。
1 被申請人は、明治一七年米国カンバーランド長老教会のミッションスクールとして創設され、校名をウイルミナ女学校と称し、同一九年同じく米国北長老教会のミッションスクールとして創設された浪華女学校と同三七年に合併し、引き続き校名をウイルミナ女学校と称したが、昭和一六年に大阪女学院と改称し、戦後昭和二二年に新学制による中学校を、翌二三年に高等学校を、同四三年に短期大学をそれぞれ設置して現在に至っている学校法人である。その建学の精神はキリスト教に基づく教育をめざし、神をおそれ、真理を追求し、愛と奉仕の精神で社会に貢献する女性を育成することにあり、右精神は創立以来一貫して保持されてきている。従ってその教育方針も右建学の精神に則し、特に豊かな情操、清潔な品性、高い知性をもって自分を生かし、他にも役立つ女性を育てることに重点が置かれ、そのためにキリスト教による宗教教育を厳格に行い、毎朝の礼拝には教師をはじめ生徒、学生全員がこれに出席する他、クリスマス、修養会、花の日、母の日等には全学的な宗教的行事を行い、又教科としても宗教(中学、高等学校においては聖書、短期大学においてはキリスト教学)を必修科目としている。又専任教員においても、体育担当教員の幾人かを除き、その余はすべていわゆるクリスチャンで占められ、教員に対してはその全人格をもって生徒、学生の模範となるべきことが要求されている。このように被申請人では授業のみならず学院生活全体を通じキリスト教精神が自ずから滲み出るような雰囲気をもって教育が行われている。
2 申請人は、昭和四四年四月一日に被申請人に期限の定めなく雇用され、以降被申請人短期大学において英語科専任講師としてゼミナール、教育心理学、通訳ガイド、オーラルの各講座を担当してきたが、昭和五二年四月以降は担当すべき講座をもたなくなったものである。
二 本件解雇
争いのない事実及び疎明資料によれば、申請人は被申請人から、昭和五四年四月二一日申請人に前記第二の三の(一)ないし(四)の解雇理由が存在し、右事実及び被申請人における申請人の言動が被申請人職員就業規則二〇条所定の「職務上の義務に違反し、又は職務を怠たり、又は職員としてあるまじき行為」に該当するとして、解雇する旨の本件解雇処分を受けたことが認められる。
三 本件解雇に至る経緯
争いのない事実及び疎明資料によれば、本件解雇に至る経緯として次の事実が認められる。
1 被申請人は申請人から、昭和五一年一二月下旬頃中京大学結城教授を通じて、同五二年四月に新設が予定されている三重看護短期大学への専任の教員として就任したいので、これを承認して欲しい旨の申出を受けた。
2 ところで申請人には、昭和四五年度のオーラル講義においてノンディレクティブ教授法を採用したため受講生から抗議が多発し、これが改善方にも応じなかったこと、昭和四七年度の通訳ガイドの講義においてもその不穏当な言動から多数の受講取消者を出したこと、更に同年九月には、その当否については多分に疑問のあるところであるが、山崎ゼミが解散するの止むなきに至ったこと、更には同年度の被申請人専攻科の前期試験において監督者であるにも拘らず、回答を教えたこと、被申請人短期大学の機関誌「紀要」に掲載する原稿の校正に時間がかかり過ぎ、予定号に掲載されなかったことについて、編集担当者のみならず印刷会社にまで抗議したこと、昭和五〇年にはカウンセリングの研究発表において、その教材に実際のカウンセリングの状況を録音したものでないのに、これを実際のものであるとして使用したこと、その他教授会等の会合によく遅刻したりしていたこと等があったことから、被申請人は申請人に対し不信感を抱いていたこともあってか、「渡りに舟」といわないまでも、右申出に応ずることとし、「三重看護短期大学設置の上は、申請人が昭和五二年四月一日から同大学の専任の教員として就任することは差し支えありません。」旨記載された申請人宛の承諾書を作成して右申出を承認するとともに、直ちに後任の人選に移り、その頃後任の専任講師の採用を決定した。
3 ところが昭和五二年一月一四日被申請人は結城教授から申請人の三重看護短期大学への就任は不可能になったから昭和五二年四月一日以降も申請人を従前どおり被申請人短期大学の専任講師として取り扱われたいとの申出を受けた。しかして右就任不可能の理由は、要するに教職経歴の浅い申請人では文部省の行う教員資格審査に問題が生ずるおそれがあるからということであった。
4 しかしながら被申請人は、右就任の申出を辞職の意思表示と理解していたので、右申出を拒否したが、申請人及び結城教授から、右申出は、申請人が三重看護短期大学の教員として迎い入れられ、同大学が設置されることを条件としたものであるところ、右条件が成就しなかったのであるから、右申出はなかったことになるのに、前記のとおり直ちに後任者の採用を決定して昭和五二年度以降の申請人の被申請人短期大学における地位を奪ってしまったことは不当であるとの強い抗議を受け、その後種々接渉(ママ)の末、止むなく申請人において次の職が決まるまで昭和五二年度以降も同人を従前どおり被申請人短期大学の専任講師として同一待遇をもって雇用することとした。もっともこの点について被申請人は、申請人を被申請人短期大学の専任講師としてではなく、単に生活を保障するという意味で経済面において従前と同一の待遇をもって雇用したものであると主張し、これに副う疎明も存するが、本件解雇が後記のとおり申請人の被申請人短期大学の専任講師としての適格性を問題としてなされている以上、被申請人は、申請人を昭和五二年度以降も被申請人短期大学の専任講師として引続き雇用することとしたといわざるをえないであろう。
ところで三重看護短期大学は新設の大学であったので、その人事権は未だ文部省の所轄するところであったので、教員の構成員いかんによっては右大学の設置が認可されるか否か、従って申請人が右教員の一員として迎い入れられるか否かは未定であったが、申請人の就任の申出が日本心理学会の権威である結城教授の推薦によるものであったことから、被申請人において、よもや申請人の教員としての資格審査が問題とされて就任が拒否されるとは思いもしなかったばかりか、前記承諾書の文面からすれば、右申出は三重看護短期大学が設置されないことを解除条件とする辞職の意思表示と解せられるのであるから、右申出を辞職の意思表示と解したことをもって一概に被申請人を責めることはできないものであった。
5 昭和五二年一月頃被申請人に、申請人が「やくざ」と肉体関係を持ち、或は暴行され妊娠しているとの私生活上の風評が入ってきていたところ、申請人が同年六月に女児を出産したことにより、これが現実化するに至った。しかしそれは右風評とは異なり妻子と別居中の男性との結婚を前提とした交際によるものであったが、いつ頃からか申請人の方が右男性を避けるようになり、これを追う右男性との間に諍いが絶えず、この諍いは時に暴力沙汰にも及び、被申請人女学院内に持ち込まれることがしばしばあった。因みに昭和五三年春頃には右男性の追求から逃れるため申請人自らパトカーを被申請人学院内に呼んだり、同年一二月には右男性から被申請人図書館内において暴行を受けるという事態が発生した。
6 ここに被申請人は、右婚外子の出産という事実は前認定のとおりキリスト教精神に基づく教育をめざしている被申請人にとっては非常に重大なことで看過することができないとして、昭和五三年三月六日開催の定例理事会において申請人に関する問題が採り上げられて審議された結果、右理事会は申請人を被申請人短期大学の専任講師としては不適任であるとの意見を有するに至ったので、院長が右理事会の意見を体して申請人に対し辞職を勧告する、もし申請人が右勧告に応じなければ懲戒免職になる旨を決議をしたが、なおもこの件については教授会の意見を徴することにした。
もっとも右理事会の申請人に対する不適任の評価は関根学長補佐からの報告に基づくものであったが、右報告の内容は前第二の三の1の(一)ないし(四)の解雇理由記載の各事実等であったが、未だ申請人に弁明の機会が与えられていない段階のものであった。
7 昭和五三年三月九日開催の教授会は、右理事会の要請により申請人に関する調査委員会を設置することとし、西村教授外三名の教授に右調査を委嘱した。そこで右調査委員会は同月二三日及び二七日の両日に亘り申請人と面接し、前記各事実等について事情聴取するとともに弁明を聞いた結果、調査委員会も特に教授方法及び私生活上の行動において申請人が被申請人短期大学の専任講師として不適格であるとの結論を出し、これを教授会に報告した。
8 右報告を受けた教授会は、以降この件につき数回審議した結果、昭和五三年一一月二九日申請人を「我々の考える良い教授者たりえない、我々教授会メンバーと協力して行動できない。本学の性格からみて学生のロールモデルたりえない。」と評価し、従って「申請人の有様が現在のままであるかぎり被申請人短期大学の教員として不適任であるといわざるをえない、申請人の特性を許容し、かつ能力を生かし得る場に転進されることを願う。」旨の見解を出し、これを理事会へ具申した。
9 ところで院長は前記理事会の意見を体し、申請人に退職を勧告したが、申請人は右勧告に応じなく、かつ前認定のとおり申請人の私生活上の諍いが被申請人学院内にも及ぶに至ったことから、被申請人は申請人に対し昭和五三年五月二四日自宅待機に処する旨の意思表示をなした。
10 そこで理事会は、右教授会の見解を斟酌したうえ、昭和五四年二月三日申請人に対し、同年三月三一日(右期限はその後二週間延長された。)までに退職されるよう勧告し、右期間内に退職手続をとらない場合は改めて解雇処分になる旨予告した。しかし申請人は右期間内に退職手続をとらなかったので、右期間経過後である昭和五四年四月二三日前記認定のとおり本件解雇がなされたのである。
四 本件解雇の効力
1 疎明資料によれば、被申請人職員就業規則は労働基準法八九条一項の届出及び同法一〇六条一項所定の周知方法を欠いていることが認められるので、その効力について疑義があるところ、申請人はかかる就業規則は効力を有しないから、右就業規則に基づきなされた本件解雇は無効であると主張するので、まず、この点につき判断する。
就業規則の行政官庁への届出の点については、これを効力要件でないと解すべきであり、又周知の点については、労働基準法一〇六条一項所定の周知方法を欠いたとしても、従業員が就業規則の内容を周知しているとか、又は従業員が容易にこれを知り得る状態にあった等特段の事情のある場合には、なおその効力を有するものと解するのが相当であるところ、疎明資料によれば、被申請人職員就業規則は昭和三六年に制定されたもので、当時の全職員には配布されたが、以降昭和五五年四月までの間に就職した職員には配布されなかった。しかしその間一度も変更されることなく、被申請人の労使関係を律するものとして適用されてきたもので、このことは申請人も加入している大阪女学院教職員組合もその都度確認してきたものであることが認められ、右事実によれば、被申請人職員就業規則は申請人ら被申請人の職員において容易にこれを知り得る状態にあったと認め得るから、なおその効力を有するとみるのが相当である。よって右主張は採用しない。
2 そこで、進んで被申請人主張の本件解雇理由について検討することとする。
(一) 解雇理由(一)について
争いのない事実及び疎明資料によれば、被申請人短期大学が山崎ゼミの受講生の登録替えを認めたため昭和四七年九月に同ゼミが解散の止むなきに至ったこと、右解散は右受講生からの同ゼミにおける申請人の教授態度、方法についての苦情に基づくものであったが、申請人に対しては一切事情聴取が行われず、かつ弁明の機会も与えられずになされたこと、しかして被申請人主張の右授業の内容ないし経過については、第二回目及び第一〇回目の講義において申請人が大幅に遅刻したこと、第六回目及び第九回目の講義中に来客があり申請人が右来客と応接したこと、第一二回目の講義が無届休講であったことが認められるが、第三回目、第五回目、第八回目及び第一一回目の各講義については、却って当日はいずれも休日等で講義がなかったにも拘らず、受講生から事情聴取に当った関根教授の誤解に基づくものであって無届休講ではなかったことが認められ、その余の第一回目、第四回目及び第七回目の各講義については被申請人主張の如き事実を認めるに足る適確な疎明はない。ところでその授業内容については沈黙する場面が多く、受講生に不安と困惑を感じさせるものであったが、これは、申請人が山崎ゼミで採用したノンディレクティブ教授法が多分に影響していたことによることが認められる。
右事実によれば、昭和四七年度における山崎ゼミの内容が受講生らにとって充実したものであったとはいえないが、これは申請人の同ゼミで採用したノンディレクティブ教授法にもよるところであって、申請人がいかなる教授方法を採用するかは、女子短期大学といえども、なお申請人の大学における教授、研究の自由の範疇に属する事柄であるとみるのが相当である。そうだとすれば、被申請人短期大学が申請人から何ら事情聴取をせず、まして弁明の機会すらも与えずに山崎ゼミの受講生の登録替えを認め、同ゼミを事実上解散せざるを得なくしたことは妥当性を欠くものといわざるを得ず、この責めを一方的に申請人に帰せしめることは酷に過ぎ、右事由をもって解雇理由とはなし得ないというべきである。
(二) 解雇理由(二)について
争いのない事実及び疎明資料によれば、通訳ガイドの講座は昭和五四年度の開設以来申請人によって担当されてきたが、その単位取得者が、昭和四五年度において三名、同四六年度において登録者数四一名中一名、同四七年度において登録者数五〇名中四名と登録者数に比し極めて少ない結果に終ってきたこと、この原因は、昭和四五、四六年度については受講生の方で徐々に受講しなくなったことにもよるが、同四七年度については、申請人が四月の第一回目の講義の際に受講生に対し「こんなに多勢の者に教えるつもりはないからプリントも一〇枚しか用意していないし、どうせ単位は取れないのだから今すぐ教室から出て行け。」と申し向けたために受講生の感情を刺激し、即日二九名の者が登録を取り消すという事態が発生し、このことが大いに影響したこと、加うるに申請人が単位取得の判定基準を国家試験の合格基準においたことにあったこと、また昭和四五年度のオーラルの講義においても、申請人がノンディレクティブ教授法を採用したため、受講生から多くの抗議が出たこと、このため関根教授が右教授方法の改善方を要望したが、申請人の受け入れるところとはならなかったことがそれぞれ認められる。
右事実によれば、申請人の担当する講義はその態度、方法等において多くの問題をもっていたとはいい得るが、前同様なお申請人の大学における教授、研究の自由の範疇に属するものとしてこれを是認するほかなく、従って右事由もまた解雇理由とはなり得ないというべきである。
(三) 解雇理由(三)について
疎明資料によれば、被申請人主張の事実を認めることができ、右事実によれば、申請人が教授会の機密事項を暴露したという点において、被申請人短期大学の教員として、その適格性を疑われても仕方のないものであり、右は被申請人職員就業規則二〇条所定の「職務上の義務に違反し」、又は「職員として有るまじき行為」に該当し、一応解雇理由となり得るといえるが、右機密事項の暴露は昭和四九年度の出来事であるうえ、関係者の努力もあって大きな問題に発展せずまもなく終熄していることが窺えること、これに前記認定の本件解雇に至る経緯を勘案すれば、右事由も未だ本件解雇理由とはなし得ないというべきである。
(四) 解雇理由(四)について
前記第三の一の1及び第三の三の5で認定したとおり被申請人主張の各事実を認めることができるうえ、前記認定の本件解雇に至る経緯によれば、被申請人は申請人の右婚外子の出産という事実をもって本件解雇に踏み切ったことが窺える。右事実によれば、申請人の婚外子の出産という行為は、被申請人にとっては、その教育方針に悖るものであるばかりか、その品位を著しく低下させ、明らかに学生らに対し悪影響を及ぼす事柄であって、これを単に私生活上の行為であるとして看過することのできないものであり、前記就業規則二〇条所定の「職員として有るまじき行為」に該当するものとして、優に本件解雇理由となり得るものというべきであろう。
(五) 解雇理由(五)について
争いのない事実及び疎明資料によれば、被申請人主張の各事実を認めることができるが、前記認定の本件解雇に至る経緯によれば、右事実のうち広告依頼原稿発送の件は理事会において本件解雇の意思を固めた後の出来事であるからこれを本件解雇の理由とはなし得ず、また多数の手紙、葉書の差出しの点についても、その内容からすれば、短期大学の教員としてその資質を疑わせる面もあるが、前認定のとおり被申請人は申請人を昭和五二年四月以降も一応被申請人短期大学の専任講師として取り扱いながら、疎明資料によれば、担当すべき講座を与えず、学生要覧からその氏名を削除し、更には研究室をも奪う等の不利益処遇をなし、遂には自宅待機を命じたため、申請人が焦燥と苦しみの余りになした面もあることが認められ、従って右手紙等の差出の件をもって、申請人が被申請人短期大学の専任講師として不適格であると断ずることは申請人に酷であり、これまた本件解雇理由とはなり得ないというべきである。
3 ところで申請人は、本件解雇は前記第三の三の1ないし4で認定した申請人の三重看護短期大学への不就任問題を契機に申請人の教員としての地位を事実上失わせるような不利益処遇に出、これを押し進めたものであると主張する。なるほど前記本件解雇に至る経緯をみるとき、右主張を裏付ける点が認められ、これによれば被申請人短期大学の申請人に対する処遇に妥当性を欠く点があったといわざるを得ないが、右に述べたとおり申請人の婚外子の出産という事実そのものが解雇理由となり得る以上、右不利益処遇があったからといって、本件解雇の効力を左右するものではない。
以上によれば、被申請人が申請人に対しなした本件解雇は有効であるというべきである。
五 そうすれば、申請人の本件申請はその余の点につき判断するまでもなく理由がないので、これを失当として却下することとし、民訴法八九条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判官 最上侃二)